東京地方裁判所 平成2年(ワ)11096号 判決 1992年2月04日
原告
甲野太郎
被告
国
右代表者法務大臣
田原隆
右指定代理人
開山憲一
外六名
主文
一 被告は、原告に対して、金一万円及び平成二年九月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金五万円及びこれに対する平成二年九月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一本件は、未決勾留中の原告が、拘置所内で購読していた新聞及び週刊誌に掲載された記事中の写真の顔の部分について、東京拘置所長が閲読を不許可として抹消措置を施したことは違法であるとして、国家賠償法一条一項に基づき慰謝料として五万円の支払を求めた事案である。
二争いのない事実等
1 原告は、昭和五九年一二月二四日、強盗殺人罪及び死体遺棄罪で、昭和六〇年一月一〇日、強盗殺人罪、死体遺棄罪並びに有印私文書偽造罪、同行使罪及び詐欺罪で、それぞれ東京地方裁判所に起訴され、昭和六〇年二月一八日から東京拘置所に在監している者である。原告は、右各事件について、昭和六二年一〇月三〇日、同裁判所で死刑の判決を、平成元年三月三一日、東京高等裁判所で控訴棄却の判決を受け、現在最高裁判所に上告中である(以上につき、原告本人、弁論の全趣旨)。
2 東京拘置所長(以下「拘置所長」という。)は、原告が購読していた読売新聞の平成二年七月二〇日付け朝刊の第一面に掲載された「小谷・光進代表を逮捕」という見出しに続く記事の中で、東京拘置所に入る小谷光浩(以下「小谷」という。)を撮影した写真のうち、同人の顔が写った部分を閲読不許可とし、黒くスミ塗りする抹消措置を施した上で、同日原告に交付した。さらに、拘置所長は、原告に対して郵送による差し入れがあった以下の週刊誌の記事中の写真のうち、いずれも小谷の顔が写った部分を閲読不許可とし、抹消措置を施した上で原告に交付した(以下まとめて「本件抹消処分」という。以上の事実は争いがない。)。
雑誌 差入れ日 抹消箇所
週間朝日八月三日号(二〇頁)
七月二七日 二箇所
週間文春八月二日号(三六頁)
七月三一日 一箇所
週間アサヒ芸能八月九日号(二一、二二頁)
八月一日 二箇所
3 被拘禁者の図書、新聞及び雑誌(以下「図書等」という。)の閲読の制限については、監獄法三一条二項が制限の具体的な内容を命令に委任し、これに基づき同法施行規則八六条一項が制限の要件を定め、さらに、これを受けて、「収容者に閲読させる図書、新聞紙等取扱規定(昭和四一年一二月一三日矯正甲第一三〇七号法務大臣訓令、以下「取扱規定」という。)」及び「収容者に閲読させる図書、新聞紙等取扱規定の運用について(昭和四一年一二月二〇日矯正甲第一三三〇号矯正局長依命通達、以下「運用通達」という。)」によって、制限の範囲、方法が定められている(<書証番号略>)。
4 東京拘置所では、取扱規定及び運用通達に基づき、図書等に掲載された被拘禁者の顔写真について、①施設の廃絶や規律及び秩序のかく乱を標ぼうし、又は施設に対する反抗心をあおるなどの言動のある者、②対監獄闘争又は在監者同士の連絡を図る目的でグループを形成している者、及びそれに同調するおそれのある者、③組織暴力団又は極左暴力集団に所属し抗争状態にある者、④その他、規律及び秩序の維持のために必要がある者、並びに⑤東京地方検察庁特別捜査部により逮捕された者の各顔写真を除いて、他の顔写真については抹消しないこととしている。そして、新たに収容した者の犯罪事実等に関する報道記事のうち、犯罪そのものが著しく残忍あるいは猟奇性を帯びた事件、加害対象を限定しない無差別テロ事件、政治家等が関与していると思われる贈収賄事件及び大規模経済事犯等その犯罪が極めて特異かつ重大なものであり、発生発覚以来、社会の耳目を引き続けている事件の被疑者等の顔写真については、④の監獄の規律及び秩序の維持のために必要がある者に当たるとして、同人の入所後から起訴後一週間、これを一律に抹消している(以下「本件抹消基準」という。以上につき<書証番号略>、弁論の全趣旨)。
5 小谷は、平成二年七月一九日、証券取引違反(株価操作等)の容疑で東京地方検察庁特別捜査部に逮捕され、同日東京拘置所に収監され、同年八月九日東京地方裁判所に起訴された。拘置所長は、右事案が証券取引法違反(株価操作等)という社会の耳目を集めた重大性・特殊性を帯びた大規模経済事犯であることから、本件抹消基準に該当するとして、平成二年七月一九日から起訴後一週間に当たる同年八月一六日までの間、被拘禁者の閲読する図書等に掲載された写真のうち小谷の顔が写った部分について、一律に抹消措置を施したものである(以上につき、<書証番号略>、弁論の全趣旨)。
三争点
本件抹消処分の違法性の有無
第三争点に対する判断
一未決勾留者の図書等の閲読を拘置所長が制限することの許容される範囲
1 およそ個人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを知得する機会を持つことは、個人の思想や人格の形成のためばかりではなく、民主主義社会が成立し発展するためにも必要不可欠の前提となるのであるから、これらの意見、知識、情報を伝達する媒体である図書等の閲読の自由が憲法上保障されるべきことは、憲法一九条、二一条の規定の趣旨、目的からその派生原理として当然に導かれる。
しかし、他方において、未決勾留は、刑事訴訟法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、被疑者又は被告人の居住を監獄内に限定するものであり、勾留により拘禁された者はその限度で身体的行動の自由を制限されるばかりではなく、右勾留の目的を達成するための必要かつ合理的な範囲内において、それ以外の自由も必然的に制限されることになる。また、監獄は多数の被拘禁者を外部から隔離して収容する施設であり、これらの者を限られた施設職員で集団として管理するに当たっては、内部における規律及び秩序を維持してその正常な状態を保持する必要があるから、この目的達成のため、身体的行動の自由及びそれ以外の種々の自由に対して、必要かつ合理的な範囲内において一定の制限を加えられることはやむをえないものというべきである。
もっとも、未決勾留によって拘禁された者であっても、当該拘禁関係に伴う制限の範囲外では、原則として一般市民として自由が保障されるべきであるから、これら被拘禁者の図書等の閲読の自由の制限は、監獄内の規律及び秩序の維持という目的を達成するために、真に必要と認められる限度にとどめられなければならない。
したがって、右の制限が許されるためには、被拘禁者の性向や行状、監獄内の管理や保安の状況及び当該図書等の内容その他の具体的な事情に鑑み、被拘禁者に当該図書等の閲読を許すことによって、監獄内の規律及び秩序の維持のために放置することができない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められることが必要であって、単に一般的、抽象的に規律及び秩序が害されるおそれがあるというだけでは足りないと解される。さらに、図書等の閲読の自由を制限する場合には右障害発生を防止するために必要かつ合理的な範囲内にとどまらなければならない。
2 具体的な場合において、被拘禁者に当該図書等の閲読を許すことによって、監獄内の規律及び秩序の維持のために放置することができない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が存するかどうか、及びこれを防止するためにどのような内容や程度の制限措置が必要と認められるかについては、そのときの監獄の実情に通じ、直接その衡にあたる監獄の長の具体的状況における裁量的判断にまつべき点が少なくないから、障害発生の相当の蓋然性があるとした監獄の長の判断に合理的な根拠があり、その防止のために当該制限措置が必要であるとした判断に合理性が認められる限り、監獄の長の制限措置は適法として是認されるべきものと解される。
二1 被告は、本件抹消処分が東京拘置所の被拘禁者について一律になされた点について、「東京拘置所における管理、保安の人的物的体制、図書等の審査業務の実情に照らすと、拘置所長が個々の在監者ごとに新聞図書の閲読審査の許否を決定することは、事実上不可能であり、一律抹消という閲読制限方法を採用しているのは、集団拘禁に伴う必要やむを得ない制限として合理的な根拠を有する。」と主張する。そこで、まず、本件抹消基準のような一律に抹消する方法が許容されるかどうかを検討する。
2 東京拘置所の保安状況
平成二年七月当時、東京拘置所への収容者は約一五〇〇名前後であったが、同月二〇日には、そのうち刑事被告人等が九二六名、受刑者は五六七名であった。これに対して、保安業務に従事する職員は、平日で約二三〇名、閉庁日で約八〇名であった。被収容者の連行に従事する職員は、運動及び入浴係が二四名、面会係が八名、捜査のための取調べ係は二名であった。その他の連行については専従の職員を配置することができず、他の保安職務についている職員が対応した。社会の耳目を集めた特異な事件等に関わる被拘禁者のうち、特に戒護、警備上必要と認められた者については二名以上の職員が連行に当たり、その他の者については、一名の職員が連行に当たっていた(以上につき、<書証番号略>)。
3 被拘禁者の購読する図書等の処理態勢
平成二年七月二〇日当時、東京拘置所における図書等の審査業務は、同所教育課図書係として配置された四人の職員が行っていた。そして、被収容者一五〇〇名のうち、未決拘禁者は九二六名いたが、そのうち二五九名が日刊新聞を購読しており(部数は朝刊と夕刊で倍になる。)、さらに日刊のスポーツ新聞等の購読者が一七〇名(朝刊のみ)いたことから、新聞の審査業務だけで一日約七〇〇点を処理していた。現行の新聞の審査は、朝日新聞及び読売新聞の二紙の朝刊と夕刊について行っており、前日の夕刊と当日の朝刊を、おおむね午前一〇時ころ、被収容者に交付している。その他に雑誌や書籍の差入れ、借出し及び購入等に係る業務があった。以上を合計すると一日平均一九〇〇点の新聞図書等の審査業務があった(以上につき、<書証番号略>、原告本人、弁論の全趣旨)。
4 2で述べた東京拘置所の保安状況、3で述べた東京拘置所における被拘禁者の購読する図書等の処理態勢の実情に照らすと、右図書等の全部について、拘置所長が個々の被拘禁者ごとに閲読の許否を決定することは、事実上不可能というべきである。そして、仮に被拘禁者ごとに閲読の許否を決定したとしても、拘置所内において、被拘禁者を完全に隔離することは不可能であるため、閲読を許可された者から不許可となった者へ情報が伝播する可能性があることを考えると、拘置所長が、図書等のうち一定の記事や記載内容に限り、一律に抹消措置を施すことは集団拘禁に伴うやむをえない制限として許容されるべきである。
5 そこで、本件においても、拘置所長が本件抹消基準に基づき一律に図書等の閲読を制限した判断について、合理的根拠及び制限の範囲の合理性が認められるかを検討すべきである。
三1 被告は、本件では、「小谷の被疑事実は、証券取引法違反(株価操作等)という社会の耳目を集めた重大性・特殊性を帯びた大規模経済事犯であることから、直接間接に被害を被った者のみならず、過激かつ短絡な思想を有する被拘禁者から小谷に対して傷害が加えられる等不測の事態を招くことも十分に考えられたこと、また、小谷は逮捕により東京拘置所に収監されたので、その後の捜査の進行状況によっては、予測できない進展も考えられたことから、施設の規律及び秩序を維持する上で放置しがたい程度の障害が発生する相当の蓋然性があった。」と主張する。
2 しかし、過去に小谷と特段の関係を有しない被拘禁者が、図書等の記事に刺激されて、小谷に対して拘置所内で暴行に及ぶことは通常ありえないことである。なるほど、東京拘置所において、連行中の被拘禁者が他の被拘禁者に加害行動に及んだ事例があったことは認められる(<書証番号略>)が、一つは被拘禁者同志で腕が触れたということに起因する喧嘩の事案、もう一つは拘置所に拘禁される以前に一方が相手を刑事告訴したという特殊な関係に起因する事案であり、いずれにしても、図書等に掲載された被拘禁者の顔写真を閲読したこととは何ら関係がない事案である。また、東京拘置所の被拘禁者は、平成二年七月一九日に小谷が逮捕されるまでに、新聞や雑誌に繰り返し掲載された同人の顔が写った写真を見ていたはずであり、さらに、小谷が収監された後にこれらの雑誌等を所持することもできた(<書証番号略>)にもかかわらず、東京拘置所において、被告の主張する不測の事態が生じたことがないのはもちろん、これを避けるために特段の措置が取られたという証拠もない。すると、被告の主張する被拘禁者から小谷に対する突発的加害行動が発生する可能性は、単に抽象的に存在するに過ぎず、拘置所長が、これを理由として障害発生の相当の蓋然性があると判断したことに合理的根拠があったとは到底認めることができない。
また、被告の主張する「捜査の進行による予測できない進展」とは、具体的に何を指すのか不明であり、これをもって本件抹消処分に合理的根拠があったということはできない。
3 なお、念のために付言すると、原告自身は小谷とは何ら面識や利害関係がないこと、平成元年七月ころ、原告は拘置所内では独居房に拘禁されて、運動や入浴も一人で行っていたこと、面会等で連行の際にも原告には二名程度の連行職員が付いていたこと等(以上につき、原告本人)に鑑みると、原告個人についても、右障害発生の相当の蓋然性があったとは到底認められない。
4 以上のとおり、本件抹消処分について、拘置所長が監獄内の規律及び秩序の維持のために放置することができない程度の障害が生じる相当の蓋然性があるとした判断に合理的根拠があったとは認められず、本件抹消処分は、拘置所長がその裁量権を逸脱又は濫用してなされた違法な処分というべきである。
四被告は、「本件抹消処分は記事中の写真のうち小谷の顔の部分だけについてなされたので、原告は、新聞や週刊誌の各報道内容は充分知りえたはずであり、原告の知る権利は何ら侵害されていない。」とも主張するが、写真中の顔の部分はいうまでもなく図書等の閲読の自由の対象となる情報の一つであるから、本件抹消処分が原告の右自由を制約したことは明らかであり、被告の主張は採用することができない。
五原告の損害
本件抹消処分は写真中の小谷の顔の部分だけについてなされたものであり、記事や写真の内容についての説明文は抹消されていないこと、原告は本件抹消処分がなされる前に小谷の顔写真が掲載された雑誌を閲読したこと(<書証番号略>)等諸般の事情を考慮すると、原告が本件抹消処分によって被った精神的損害を慰謝するには、一万円をもって相当と認める。
なお、原告は、平成三年五月七日付けの「訴の変更申立書」において、本訴請求金額を五〇万円に変更する旨申し立てたが、拘置所長が原告の本件口頭弁論期日への出頭を許可しなかったため、右書面は陳述されていない。しかし、これまでに検討したとおり、本件では原告が被った精神的損害を慰謝するためには一万円をもって足りるというべきであるから、結論に影響を及ぼさない。
(裁判長裁判官木村要 裁判官深山卓也 裁判官齊藤啓昭)